PTA活動が盛んな学校。「できる人が、できるときに、できることをやる」というスローガンで、役員にならなくてもボランティア制が取り入れられていた。
ボランティアと言いながら、余程メンタルが強い人以外には、事実上の強制だった。
参観日、スポーツフェスタ、ミュージックフェスタなど、イベント時の受付、茶話会の準備など、保護者は頻繁に小学校へ行く必要がある。
朝の読み聞かせや横断歩道での旗持ち、通学路のパトロールは、自動的に当番が回ってくる。
山野フェスタという学芸会のため、大道具、小道具の作成に、私たち保護者が何日も小学校に通わなければならない。当日の舞台照明や受付も、もちろん保護者である。
周りからは、イベントが盛んな小学校と評判だったようだが、保護者の労力がとてつもない。生徒だけで出来ないなら、無理にイベント(特に学芸会)は、やらなくても良いのに、もう授業だけやってくださったら良いから......と思っていた。
先生への心証を良くするため、保護者がどれだけ犠牲になれるか、子供の学校生活が人質に取られているようだった。そこまでしても結局、先生は異動でいなくなるので、労力に見合っていない。
小学校のPTAとは別に、学童のPTAもあった。
子供が小学生になると、保護者はこんなに忙しいのかと、私は驚いた。
「子供のため」と言い、保護者をこき使っている。
PTA会長などの目立つ役職は父親だが、実際の作業をおこなっていたのは母親ばかり。
やはり女性は、無償労働をさせられる機会が多いのだなと思った。PTA会費をお支払いして労働させていただいているので、無償労働ですらない。
また、他にも決まりがあった。
現代は電話やメールといった文明の利器があるが、教員の業務の妨げになるという理由で、欠席連絡に使用するのは禁止だった。
時代が平成から令和に変わろうとも、保護者が連絡帳に記入し、届ける仕組みである。
そのため私は、発熱している子供を家に置いて、連絡帳を届けていた。子供が嘘吐していたらどうしようと心配だった。一人で置いて行かれる子供も心細かったと思う。
毎日の宿題の丸付けは保護者が行うこと、年度末に保護者一同から担任へ花を贈ることも疑問だった。
学校の仕事の一部を、家庭に担わせているように感じた。